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完成度の高い、アジカン2枚目のアルバム。泣ける!とにかく泣ける!
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訃報
2/9 午後4時41分。
母が永眠しました。

入院してから9日目、あっと言う間に病状が悪くなり、
とうとう逝ってしまいました。

最後に交わした言葉は
「ティッシュ取って」
でした。

病名は肺腺癌。
以前から咳が出て、レントゲンでも白い影があったにも関わらず、
病院を何箇所も回る検査、家族の同意が必要な検査に我慢ができず、
結局「寿命だから」と、拒んでこうなりました。
母がイヤと言ったら、梃子でも動きません。
そんな人です。

なので、本人はわかっていたのでしょう。
自分の終演が近いことを。

母の手料理の最期はサバの味噌煮でした。
それも時間が経ってから食べました。
「友達とご飯食べてくるから」と言って、
最後の晩餐を囲めなかったのが悔やまれます。

今日は用事があって、その後に病院に顔を出そうか、前にしようかと悩み、
結局行く前に車で向かいました。
その途中、容態の急変を伝える電話がかかってきたのです。

「話しができるのは今日で最後、今後は睡眠薬で眠らせたまま息を引き取らせる」
それが最終決定でした。
痛みに苦しむ母を楽にさせるには、それしか手の施しようが無かったのです。
予定としては2〜3日後だったのですが…




元々気丈な母は、本当に最後まで頑張って、
眉間にシワを寄せて、苦しみながらも痛みに我慢していました。
涙ぐむ家族に「泣くな」と、自分が辛いにも関わらず、そう言っていました。
人に迷惑をかけるのが大嫌いな人でした。

肺がダメになっていたので、息を吸っても体に酸素が回らないのです。
そんな状態で、肩で、胸で大きく息を吸っては吐きを繰り返していました。
呼吸をするのがこんなにも大変だとは。

見ているのも辛かった。
だけど、見ていることしかできない。
そばに居る事しか出来ない。


心電図はずっと150前後。
昨晩は200近くにも上っていたそうです。
心臓が、酸素の足りない血液を一生懸命体中に押し流す為、
必死でがんばっていたのだと思います。
ずっとマラソンをしているのと同じです。
手足の末端は紫色になっているのに、パジャマは汗でびっしょり。

「背中をさすって」
声を振り絞って言う母の背中を姉と私でさすりました。
骨々としてしまった体が痛々しく思いました。

しばらくすると
「お腹が痛い」
と言い、姉がお腹をさすってあげました。
ガスが溜まって辛いと言っていました。

薬を入れてもなかなか効かず、
1度眠ったもののまた痛みと苦しみに目覚めてしまい、
「また目が覚めちゃった…」
などと言う母。

薬の量を徐々に増やしてもらい、やっと…と思ったところで更に急変。
呼吸を表すグラフが今までに無い形になってきました。
肩も胸も動きが少なくなっています。
意識も朦朧としているようです。

看護婦さんも手首や足、首を触って「脈がとれなくなっている」と言いました。
悟ったにやは1度家に戻った兄と父に連絡。
2人がやってきて、数十分後、息を引き取りました。

「ありがとう、お母さん。お母さんのようなお母さんになるから!」
母が意識があるうちに言えたのはそれだけでした。

本当はもっと言いたかった。
「あなたの子供に生まれてよかった。」と。

「お母さん」の鏡のような人だった母。
家の事を毎日きちんとやり遂げ、家庭をきっちり守り、
贅沢を言わず、慎ましやかに暮らし、家族のために人生を捧げた母。
自分よりも子供を、猫を、気にかける人でした。

そんな母の人生は幸せだったのだろうか。
もう聞くことはできません。


家に帰って来た母は象牙色の肌で、とても綺麗になって帰ってきました。
まるで眠っているだけのようです。
苦しみから解放され、とても穏やかな寝顔です。

更にお化粧をほどこしてあげました。
身なりもきちんとしていた母です。
お化粧をしてあげなくてはかわいそう。

お母さん、綺麗になってよかったね。
歳の割にはシワも少なく、お肌もツルツルで羨ましい。
変な事を考えながら化粧をしていました。


母が居なくなったことが、まだ実感として湧くようで湧きません。
そんなもんなんでしょうか。

| - | 01:30 | comments(8) | trackbacks(2) |
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コメント
お邪魔します。m(__)m

わたしの母は、すい臓がんでした。「お母さん」の鏡の180度真逆の人でした。

泣けたのは、しばらくしてからでした。
それから長いこと、泣きました。

わたしでさえ、その喪失感は、経験のない大きなものでした。

女王さんのお母様との歴史を思えば、

お察しするに余りある、想いがこれからじわじわとあふれてくることと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

お母様へのお化粧、あなたの手でして差し上げられたこと、なによりのご供養と思います。

ふっと、顔がやわらんだ気がなさったでしょ?
届いたんだと、思います。。。。

m(__)m
| kazumi | 2005/02/10 8:51 AM |

ただ・・ご冥福をお祈りいたします。
| 神都 | 2005/02/10 9:21 AM |

流して構わん。

人ってのは、案外丈夫なモンだ。
人ってのは、思っている以上に残酷なモンだ。

亡くなるよりも、残された方が悲しいとか良く言うが、背負う、「業」ってのは、いつか癒える。
無くなりはしないが、いつか癒える。

どんなに大切な人間が亡くなっても、翌日からはいつもの通りに、「生きる為の行動」を取る自分がいる。
クソを垂れれば、メシを食らう自分がいる。

「自分こそが残酷である」を認めれば・・・。
少しは楽になるから。 な。

何も出来ないけど。 頑張って・・・。
| 九龍 | 2005/02/10 10:49 PM |

コラ! このクソタゴっ!

いつまで凹んでるんだよ!?
気合い入れろ! 気合いっ!

ちゃんと仕事は行ってるんだろうなぁ?
| 九龍 | 2005/02/26 8:21 PM |

皆様、レス遅れてすみません。
温かいお言葉ありがとうございます。
確かに、人間ってのは丈夫なもんで、今は結構普通に生きています。

泣けたのは友人一同の顔を見たときと、焼くときだけで、
骨になってしまってからはちっとも涙も出てきません。
不思議なものです。

またふとしたときに涙がこぼれるのかもしれませんが、
今はこれでいいんだと思います。


>九龍
仕事が忙しくてカキコできなかっただけで、
いつまでも凹んでいたわけではないのよ。
凹む暇もないくらい、仕事も家も忙しかったんで。
それはそれで幸いかと思うよ。
| 女王 | 2005/02/27 2:40 AM |

なら良し。

たまには更新しろよな。


kowloon_0510@hotmail.com
あ、ココにアド宜しく。(遅)
| 九龍 | 2005/02/27 12:59 PM |

忙しいとは思うが、一応声は掛けておくからな。

http://fkpg.sakura.ne.jp/kowloon/mt/archives/000188.html#more
| 九龍 | 2005/02/28 11:58 PM |

忙しいとは思うが、一応声は掛けておくからな。

http://fkpg.sakura.ne.jp/kowloon/mt/archives/000188.html#more
| 九龍 | 2005/02/28 11:59 PM |

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御冥福を
女王へ。 頑張ったな。 ・・・それぐらいしか言えない。 スマン。...
| 魔城 九龍 | 2005/02/10 7:30 AM |
タマシイノウツワ
心からご冥福をお祈り申し上げます。 俺が兄を亡くしたときも、その実感が全くわかず、「ひょっこり帰ってくるに違いない」と数ヶ月ほど思い続けていたことがあった。 俺の場合、兄の亡骸を眼にして、葬儀の喪主を務め(というほど大げさなものではないが)火葬場で兄の
| FKPG! | 2005/02/12 12:20 AM |